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2006年9月29日

早剥について・・・

常位胎盤早期剥離(略して早剥)は、赤ちゃんが子宮の中にいる状態のまま胎盤がはがれはじめてしまう病気で、妊娠中に起こる合併症の中ではもっとも危険な物の一つ。腹痛を訴えて来院されたときには赤ちゃんがもう亡くなっていることもあるし、ちょっと時間が経つと母体の命も危険にさらされます。
だから、早剥と診断したらすぐに帝王切開をするのが原則です。
って、ここを見てらっしゃる方の多くは知ってることとは思いますが・・・。

何年か前にみていた妊婦さん。妊娠中は何の問題もなく普通に陣痛が来て入院し、ごく普通に経過を見ていました。
経過中、児心拍モニターでちょっと赤ちゃんが調子悪いかな?と思って内診してみると、血清羊水(羊水が血液混じりで真っ赤になること)がみられました。エコー上は明らかな胎盤剥離の所見は無かったけれど、早剥を疑って緊急帝王切開しました。
もちろんご本人とご家族に早剥の危険性などをお話しした上でのことです。
帝王切開でも、部分早剥が認められ、自分としては手術して良かったと思いました。

早めの対応だったからか、赤ちゃんは元気で、普通に母児同室して普通に退院していきました。

患者さんの方は・・・。自分が帝王切開になったことについて最後まで思い悩んでいる様子でした。
理屈の上では分かってくれていたと思います。でも、自覚症状も殆ど無く、産まれた赤ちゃんも元気、自分も元気、本当に帝王切開ではないといけなかったのか・・・。
今回帝王切開になったことで、次回のお産も自然分娩は困難になってしまった。
本当に下から産めなかったのか。
明らかには責められなかったけれど、そんな感じでした。少なくともあまり感謝はされなかったな。

早剥に関連する訴訟記事を読むたび、こういう事も思い出します。
今後も早剥を疑ったら帝王切開するという自分の方針に代わりはないけれど、もし実際に早剥で無かった場合に「切らなければ良かった」と訴えられるケースは確実に出てくるのではないかと思います。

記事は続きの方で。

長野赤十字病院医療過誤訴訟:病院側が4400万円支払いで和解 /長野

 仮死状態で生まれた長女が死亡したのは病院が適切な処置を怠ったためとして、長野市内の両親が長野赤十字病院(長野市)を設置する日本赤十字社(東京都)を相手取り、慰謝料など約6000万円の損害賠償を求めた訴訟は28日までに、病院側が4400万円を支払うことで和解が成立した。

 訴えによると、母親は01年3月、近所の産婦人科医院で胎盤早期剥離(はくり)の可能性を指摘され、救急車で長野赤十字病院に運ばれたが、同病院は「明確な所見は認められない」と診断。その後、帝王切開の緊急手術で長女が生まれたが、10日後に死亡した。手術決定まで約20分かかったという。

 手術決定の遅れと死亡との因果関係が争われ、これまでに「帝王切開決定までに遅れがあったが、注意義務違反の状況が極めて悪質とはいえない」と互いに認めた。

 原告側の弁護士は「裁判所による鑑定書で、因果関係の可能性は十分にあったとされた」と話し、同病院の事務部長は「過失はないと主張してきたが、結果責任を重く受け止めた」と話している。【谷多由】

毎日新聞 2006年9月29日

2006年9月26日

2人体制といっても・・・

私がモルディブに行って脳を溶かしている間に、いろいろと興味深い報道もあったようですが、それはまた追々考えるとして。
こんな記事をみつけました。

宮古病院 産婦人科医、1人増 負担軽減へ来月から2人

 派遣医師1人で対応している県立宮古病院の産婦人科が10月から、派遣医師2人体制に増員されることが23日までに分かった。10月からは中堅医師1人と研修医1人の計2人が派遣される。
 医療訴訟の増加を背景に、全国的に1人体制の病院は手術を避ける傾向にあることなどから、関係者が5月ごろから増員を検討。さらに同病院では、緊急時に医師を呼び出す「オンコール制」を取っているが、1人体制では事実上、24時間拘束されることなどから「負担が大きい」(県病院事業局)としている。
 宮古病院の安谷屋正明院長は「1人体制になってからは、患者を本島に紹介せざるを得ない場合もある。2人体制になれば紹介も減り、医師も少し楽になるのではないか」と、患者と医師双方の負担軽減を期待した。

研修医を1人増やして2人体制、と。 いや確かに、たった1人でやるよりはずっと良いでしょうが・・・。堂々と派遣医師二人体制と書くほどの体制なのだろうか。 後期研修医のしかも2年目だったら、結構戦力になってくれるかな、と、つい中堅医師側に偏った見方をしてしまうのだけど、研修医側から見ても、有意義な研修になるのか、ちょっと心配。

2006年9月22日

モルディブ旅行記2006 (12)小ネタいくつか。

モルディブ旅行記も、いい加減まとめの方向へ持って行かなくては。
ということで、今回は、気づいた小さなネタ&覚え書きです。

☆朝焼け
スパヴィラからは日の出をおがむことが出来ました。
視界を遮るものは何もない、水平線上に見える朝焼けは美しかった・・・。
このために6時から起きてたりするから、時間通りにマフィンが来ないと腹が立っちゃうんだよな(笑)

☆レストラン前の浅瀬
メインレストランの前には、可愛い子たちがいっぱい。
ベビーシャークとエイの子供が、よく軒下でお休みしています。朝食の合間によく見に行きました。
中には餌付けをする人も・・・自然を大切にしましょうね・・・

モルディブ旅行記2006 (11)バトラーサービス

ここのリゾートの売りのひとつは、バトラーサービスらしい。
これは、一室に一人のバトラーが24時間対応でつき、「これがしたい」「これ食べたい」などすべての要望を聞くというもののようです。
最近この手のサービスが増えているようだけど、アイランドハイダウェイのバトラーサービスはかなり徹底していて、リゾート内を移動するためのバギーを呼ぶときも、インヴィラダイニングの注文も(そして持ってくるのも)、レストランでの給仕も、全部専属のバトラーさんがやってくれます。

その象徴的な行事(と勝手に考えている)が、朝のマフィンサービスです。
これは、毎朝8時にバトラーさんがマフィンとコーヒーを部屋に持ってきてくれるというもの。おそらくはここで朝の挨拶を交わし、その日の予定について相談するということなのでしょう。
#時間とかその日必要かについてはアレンジ可能。

リゾートでの朝、ヴィラのお庭やベランダでのんびりマフィンとコーヒーを頂くのは、非常に優雅で気分の良いものでした。
マフィンも甘過ぎなくて美味しかったし。
ポットに「フッ素加工」と思い切り日本語のシールが貼ってあったのはびっくりしましたけど。

ただね・・・。バトラーさんが8時に来ないことがあったのです。
一度目は最終日の前日。8時15分になっても来ないから、もうレストランに行こうかと思ってバトラーに電話したら、「もうすぐそちらに着くところだけどマフィンはいいのか?」と。
その日は結局バトラーさんの到着を待って、とりあえずマフィンをいただきました。

そして二度目は、最終日。(帰る日の朝)
8時20分くらいになっても、バトラーさんがやってこない。またかと思ってバトラーさんの携帯に電話しても出ない。お部屋の電話には、バトラーさんの携帯しか登録されていないので、しょうがないから交換の電話番号を調べつつ、さらにもう一度、8時30分くらいにバトラーさんに電話。今度は繋がりました。
「もうレストランに行くから、バギーを呼んで」
対する答えは、「マフィンはいらないのか?」と。そこで私はプチッと切れてしまいました。
「今あなたは一体どこに居るの?」「レストランに居る」「レストラン!? もう8時30分だよ! ともかくバギーを呼んで!」
そうやって最終日なのにマフィンサービス無しでレストランへ行くことに。
レストランでバトラーさんが「8時15分にジェッティでトレーをひっくり返してしまった。そこで取りに帰った」と説明してくれて(でも8時15分にジェッティって時点で遅いんじゃ・・・)、その後昼過ぎにお詫びのお茶とマフィンを持ってきてくれましたが。

やはり8時に人が来ると思うと、(寝ていればドアの前に置いていってくれることは知っていましたが)それより前に起きて、いろいろ支度して待ってしまう。そこでしばらく待たされると、どうしてもイライラしてしまいます。
そもそもマフィンとコーヒーはレストランに行けばあるわけで、バトラーさんとののんびりした交流が無いと意味がないわけです。

その他にも思うところはいくつかありましたが・・・。
レストランでサービスしてくれる人は、専門のウェイターさんの方が良いんじゃないかな、とか。(特に私たちの好みを覚えて飲み物を持ってきてくれたりとか、無かったしね)

自分の英語力にも反省点は多々ありますし、相性もあるだろうし、こういったサービスの良い点もあるでしょうから、次の機会にはもっと上手くやりたいな、とは思いました。

モルディブ旅行記2006 (10)SPA

少しずつ増えているモルディブ旅行記も10エントリー目です。まだ続きます(笑)
さて、今回はSPAについて。もちろん行きましたよ、リゾートの必須事項のように。
マンダラスパが入ってます。
1回目はSPAの施設内で、2回目は自分のスパヴィラでやってもらいました。

まず1回目は、ドリームウィーバーというコースにしました。これは、バリニーズマッサージとフェイシャルのセット。何でこれにしたかというと、その前日に行ったカクテルパーティでお話をしたスパマネージャーにおすすめと言われたからです。
#ちなみにスパのスタッフは全員インドネシア人(主にバリ)だと言ってました。
さすがマンダラスパ、なかなかのものでしたよ。とても心地よかった。去年、エヴァソンハイダウェイで「ここが一番!」と思ったけど、こっちの方が一番に変更します。
まず最初にアロマ入り足湯を使ったフットマッサージ、次にフェイシャル、ミストサウナに入ってお風呂に入って、最後にマッサージの順で行われました。
ミストサウナに案内されたときに、スタッフに
「ミストを10分、バスを15分(細かい時間割は忘れたけどそんな感じ)」
と言われましたが、時計を持ってないと難しいなぁと思いました。辛うじて私の時計があったので、それを見て時間を計りましたが。あ、でもわざわざ言われたとおりの時間にやることは無かったのかも。

写真はスパです。

そして2回目は待望のお部屋スパ。待望と言いながら、実際にチャレンジしたのは最終日なのですが。
今度はソルティシトラスボディバフというのにしました。2時間半かけて全身をびっちり磨くコースです。
ちなみに旦那は前回と同じドリームウィーバー、ただしフェイシャルをフットに変更して貰いました。融通を利かせてくれて有り難かったです。

予約時間の2時間前くらいに、私たちがシュノーケリングから帰ってくると、スパのスタッフがお部屋の前で待っていました。「時間を間違えた?」と思ったら、準備に来たとのこと。
そこからしばしセッティング作業が始まりました。
スパのスタッフがいったん帰った後に、セッティングされたお部屋を記念撮影。
なんと言っても、足湯をやってもらう場所が海にのぞむテラスです。いつまでもそこに居たいくらい、素敵でした・・・。

  

足をこすってくれる軽石が、星の形なのも素敵。
肝心のシトラス・・・のほうは、素晴らしいと思う、思うけど、塩でごしごしするマッサージは日焼けした肌にはちょっと失敗だったかも。もうちょっとオイリーなヤツにすれば良かったな。
お風呂はバブルバスにしてもらいました。さていざお風呂(もちろんテラス上のビューバス)へと思ったときに、ウィンドサーフィンが海上へ登場。
ウォーターアクティビティの人たちは滅多にこちらの方へは来ないのですが・・・。ちょっとびびったよ。

総じて素晴らしいスパでした。また行きたい!

2006年9月21日

モルディブ旅行記2006 (9)シュノーケル

シュノーケルも侮れません。日焼けにおびえつつも、2回やっちゃいました。これは私たちの旅パターンからすると、多い方です。
シュノーケル用の3点セット(マスク・フィン・シュノーケル)は、ダイビングセンターに行くと袋入りで貸して貰えました。ダイビング機材とは別に、シュノーケル専用の3点セット。これは自分の部屋にキープしておけるので、いつでも好きなときにシュノーケル出来ます。スパヴィラの前はやりませんでしたが(魚居ないし)。

ダイビングスタッフにお勧めを聞いたところ、「バーの前からエントリーしてメインジェッティで上がると良いんじゃない?メインジェッティにはラダーがあるし」ということだったので、バー横のプールで荷物置き場を確保し、ジェッティとの間を泳いで、またプールに戻ってきてプールで塩抜きをする、というスタイルを採用しました(あ、ちゃんとプールの前にはシャワー浴びてるんで一応)。
このあたりは水路になっていて、昨年11月には数十枚のマンタの行進が見られたという・・・。
まあ、今回はマンタは見られませんでしたが、シュノーケリングも面白かったですよ。

下の写真はその水路の部分を写してるのですが、わかりにくいですね・・・ 色が濃く変わっているのですが。

この大きさだと分かりにくいけど(クリックすると大きくなります)、結構サンゴが元気です。
パウダーブルーちゃんもちゃんと居ますよ。

 パウダーブルー

そしてびっくりしたのが・・・ジェッティのしたにギンガメアジがトルネードしてるんですけど!!
パラオなどでも人気のギンガメの群れ(しかも結構大きい)がシュノーケルで見れるんですよ。すごい。
ジェッティの下には、クマノミも居ました(もちろん群れではない)。

ギンガメ

他にもお魚がたくさん居て、毎日シュノーケルをするだけでも十分楽しめそうでした。

モルディブ旅行記2006 (8)お食事

やっぱりお食事も美味しくなくっちゃね!ということで、アイランドハイダウェイアットドナクリのお食事編です。
ちなみに基本形は、朝ビュッフェ、昼アラカルト、夜アラカルト、のもよう。しかし全食ルームサービスの人も珍しくないと思われます・・・その位、レストランは常に空いてました。特に夜。
私たちは、朝ビュッフェ、昼ナシ、夜は日により、という形で動いてました。

まずは個人的にリゾートの朝食で必須事項としている朝シャンパン。もちろんアイランドハイダウェイにもありますよ! 朝っぱらから海を見ながらお酒飲んでると、一気に優雅な気持ちになれるから不思議。初日は午前中にダイビングを申し込んでしまったため、シャンパンが飲めなくて辛かった(同じ空間内でダイビングスタッフが食事してたし)。
ビュッフェは全部美味しかったですけど、特にワッフル(チョコorバニラ)がお気に入りでした。パンもこんな離島で焼いているとは思えないお味。あと、神田で働いた経験のある日本食シェフが居るとあって、厚揚げ豆腐や味噌汁、お寿司もおいてありましたよ。味噌汁や卵スープ(おすまし風)は結構いけました。これをもらうと、必ずスタッフがスプーンを持って走ってきたなー。

到着した夜にBBQナイトというのがあり、参加してみました。プールサイドでやることもあるみたいですが、この時は島の森の中でした。
シーフードがメインということでしたが、肉もデザートもたくさんあって豪華でした。
ドイツから来たフォトグファーが、明るーいライトを付けてあっちこっち撮っていたのが、ちとウザかったな。
豪華で良かったのですが、ひとり100ドルという価格設定はちょっと高すぎるんではないかと。しかもアルコールは別。

ガーフシレストランという日本料理とインド料理のレストランにも行ってみました。こちらは予約制です。
ダンナはチキンカレー(25ドル)、私は焼きそば(25ドル)を注文してみました。焼きそばのお味は・・・惨敗。これは頼んではいけません。
カレーは美味しかったようです。

最終日は、インヴィラダイニングにしてみました。
トマトとモツァレラのサラダと、パスタと、チキンサテ。サラダとパスタは美味しかった。サテは・・・想像していたサテとは違う物でした(ちなみに21ドルで、この中で一番高かった)。翌日、バリ人のスパスタッフとサテ談義で盛り上がりました。さらにシャンパンのハーフボトルと、赤のボトルをあけて、すっかり酔っぱらいました。

今回私たちは朝食のみついている設定にしていたんだけど、それだとどうしても値段を気にしてしまいます。貧乏性なので。
次回からはフルボードにした方が良いのかな、とちょっと思いました。
出来ればアルコールも含まれるフルボードが良いな~。(やはりドーニミギリか・・・)

2006年9月20日

モルディブ旅行記2006 (7)ダイビング

せっかくモルディブだから・・・と、ダイビングもしましたよ。ちなみに日本から持って行ったのは、ダイコンだけです。
到着した日に(私たちは午前着なので)ダイビングセンターへ案内して貰い、説明を聞いたりレンタル機材のセッティングをしました。ここはスタッフが結構たくさん居て、ダイビングのインストラクターだけでもドイツ人のベースリーダーニッキさん、舘石昭のベストフレンド(本人談)のモハメッドさん、1週間前に来たばかりというスイス人夫婦のマイケルさんとターニャさん。そして日本人ガイドのゆうこさんとその旦那さん(ドイツ人?)は、お休みでした。
#そういえば私たちがアイランドハイダウェイに行っている間は、レセプションの日本人スタッフもお休みでした。

レンタル機材は、重機材がSプロで、マスクがマレスだったかな? どれも綺麗で、全然トラブルは無かったです。ただ・・・ウェットが3mmのショートジョンで、これは私には寒かったです。

で、5本潜りました。到着翌日に午前2本、その後は午後1本ずつを3日間。だって朝はなるべのんびりまったりしたいので、ゆーっくり朝ごはんを食べて、午後2時にダイビングに行くというパターンがお気に入りでした。
感想としては、魚影がかなり濃い!あと珊瑚が元気。
マーレから遠く、荒らされていない海だからかな? マンタもジンベイもイルカも会えなかったけれど、十分楽しかったですよ。

ダイビング日記は、続きの方で。

9月18日午前2ダイブ
客は私たちと1ファミリー(3人)。で、2グループで潜るという豪華さ。
ファミリーのお母さん(白人)が、デッキに出て豪快に日焼けをしているのを見て、「なんて無謀な・・・」と人ごとながら心配になる。しかしその後自分が船酔いで撃沈しました・・・日本の恥・・・。
1.HEAVEN & HELL
船酔いしてしまったためあまり記憶がないのですが、確かちょっと深めのため減圧注意!ということからポイント名がついたという話だったと思います。細い水路を何往復もしたような。
ここでチェックダイブという話でしたが、そういえば無かったな。やるとしたら、マスククリアとレギュレーターリカバリーをするという話でした。
2.MULIDHOO
やはり船酔いのためあまり記憶なし(涙)。

9月19日午後 Mathi Faru
「今日のポイントは船でたったの5分で着くから、船酔いの心配は無いよ!」と言われ、軽く落ち込む。「薬も持ってるし大丈夫だから、お願いだから気にしないで、いろんなポイントで潜りたいですー」と必死で説明するけど今ひとつ分かってもらえず。
とりあえず黄色いソフトコーラルがびっしり付いた壁に沿って泳ぐポイントでした。

9月21日午後 Aquarium
この日から大きなボートに乗ることになりました。シャワー・トイレ付きのでっかいダイビング船。
客は私たち&シュノーケラー2人だけ。本当にペイしてるのか心配になってしまいます。
ポイントは、ともかく魚がいっぱい居て、カメもあちこちに出没。楽しいところでした。11月にはマンタも見られるらしいです。

9月22日午後 Coral Garden
この日の前夜に「ダイバーズ・ナイト」というイベントがバーにて行われたため、そこでゲットしたと思われる体験ダイバーの男性1人が同乗。楽しそうでした。
私たちの方は、スイス人の奥さん、ターニャが初ガイドしてくれました。密かに夫マイケルよりも安定感のある潜りをするな、と観察していました。大きなウミウシを一生懸命見せてくれました。
ガーデンイールやクマノミが結構居たけど、それには興味ないみたいだった。

そんなわけで、結構楽しくダイビングできました。次にアイランドハイダウェイに行ったら、きっとまた潜ると思います。マンタシーズンに行きたいよう!

モルディブ旅行記2006 (6)スパ・ウォーターヴィラ

9月19日の夜に、今度はスパ・ウォーターヴィラへお引っ越し。スパ・ウォーターヴィラは、この島にふたつしかない水上コテージのお部屋です。わーい!(水コテ好きは日本人の特性のようですね・・・)
前の方が夕方までいらっしゃるということで、パッキングした荷物を預けてカクテルパーティへ行き、レストランで食事をしてからヴィラへ。長いジェッティはカートが通れないらしく、トコトコ歩いていきます。

ま、これは別の日に撮った写真ですが・・・。

ヴィラの中は予想よりも広く感じました。ソネバギリのレジデンスに泊まったことのある私たちが広く感じたのですから。
で、広いテラスにこのお風呂。
このお風呂、写真で見て想像するよりずっと大きいです。やはりお湯をはるのに小一時間。

ベッドから海が見えます。ベッドでは、ちゃんと新しいクマさんが待っていてくれました。

洗面スペースも広い。
その他にミストサウナ・ドライサウナもあり。スパだからねぇ。

海を見ながらいただく朝のマフィンはまた格別でした。

そしてそして。ジャスミンガーデン、スパウォーター、パレスに泊まった人には夕方にハイティーのサービスがあるのです。
素朴なケーキとサンドイッチ、といったちょっとした軽食とお茶。
ランチョンマットがマフィンの時と別なのが粋ですよね?
#そういえば途中からランチョンマットが来なくなった気がするけど・・・ま、いいか。

2006年9月19日

モルディブ旅行記2006 (5)亀の赤ちゃん♪

アイランドハイダウェイアットドナクリでの日々、つづきであります。
ジェッティに亀の赤ちゃんたちを保護するためのケージがありました。そこである程度大きくなるまで育ててから海に放してあげるのだそうです。
子亀ちゃんたちの可愛さにすっかりやられちゃいまして、毎日見に行ってました。
ダイビングスタッフに聞いたところ、子亀ちゃんはもっとたくさん居たのだけれど、だいぶ減ってしまったのだそう。ちょっと流れが速いから・・・というような話だったような気がします。

そんなわけで子亀ちゃんだけの独立エントリー作成です。
ちょっと潜水して餌を食べようとするところが可愛かった。

 

 

2006年9月18日

モルディブ旅行記2006 (4)ドナクリ・レジデンス

やっとアイランドハイダウェイアットドナクリ モルディブ スパリゾート&マリーナ (Island Hideaway Maldives at Dhonakulhi Spa Resort & Marina)に到着です。しかし正式名称長すぎです。

現地では、ドナクリ・レジデンスに2泊、スパ・ウォーターヴィラに4泊しました。何でこうなったかというと、直前手配のためそれしか取れなかったので・・・ 結果的には結構良かったですがね。
そんなわけでドナクリレジデンスです。私たちはNo.20の部屋でした。

広いリビングに絶妙のインテリア。写ってないけど、ダイニングのような部分もあって、メリタのエスプレッソメーカーが置いてあります。水も毎日4本は補給してくれました。
ソファも広いです。固さもほどよくて最高。ここでのんびりと読書をしたりして過ごしました。

寝室は・・・ベッドにWELCOMEと書いてくれてあります。そしてベッドにはクマが。このテディベアはお持ち帰り可能なんですよー。今は我が家のソファに居ます。

外に出ると、寝室の前には大きなジャグジープールがあり、専用ブランコ(オンドーリでしたっけ)、さらに砂浜の手前にデッキチェアがふたつ、ふかふかのマットとタオルをセットされて置かれていました。
木陰にはテーブルが。ここでいただくマフィンはとても美味しかった・・・。マフィンのサービスについては後日別記します。

部屋の屋上にもソファが置かれたスペースがあり、そこからの眺めも良かったですね。他の人の気配とか、全然感じないし。

そして広ーい洗面&バススペース。写真で見るよりずっと開放感がありました。ただしアウトドアなので虫には注意。
お風呂は巨大でお湯をはるのに30分以上はゆうにかかりました。お風呂グッズのアヒルちゃんもいます。これはスパヴィラには居なかった。

とにかく広くて、部屋と言うよりは家という感じでした。しかも自宅よりもずっと大きい・・・。
こんな家に住めたら幸せだなぁ、と思いつつ日々を過ごしました。

2006年9月17日

モルディブ旅行記2006 (3)フルレ~国内線

さて、脳天気に旅行記を続けます。
この日は9時15分にフルレアイランドホテルをチェックアウトと言われていたので、比較的のんびりと朝食へ。
時間がゆっくりなせいか、結構品数がありました。ワッフルやオムレツも焼いてくれるし、何とシャンパンも! しっかりいただきました。
さらにホテルの外を散歩。ホテルのプールも結構広く、リゾートっぽかったですよ。

さて、ちょっと一悶着ありながらも無事にチェックアウトを済ませ、国内線に乗るため空港へ。
アイランドハイダウェイの客はラウンジが使えると言うことで、のんびりネットなどをして過ごしました。パソコンも設置されてます。

そしていよいよ国内線ですよ。小さな飛行機で、結構低めを飛ぶので、そこからの景色が最高なのです! 約55分のお楽しみフライトです。
ちなみに往路は左側の席の方が楽しめるようです。(座席指定は出来ませんが)

真珠の首飾り、たくさん見えます。

クルンバヴィレッジとトラギリ?
 

どこかは不明。

この飛行機に乗りました。

お天気に恵まれて幸せでした。無事にHanimaadhoo空港に到着し、そこからさらにスピードボートで目指すアイランドハイダウェイアットドナクリにたどり着きました。

2006年9月16日

モルディブ旅行記2006 (1)リゾート決定まで

年に一度の一大イベント、夏休みにはモルディブへ行きました。
モルディブにはたくさんのリゾートがあり、それぞれ利点と欠点があるので、まずリゾート選びが重大な問題です。

悩みに悩んだ挙げ句、心に決めたのは、Wリトリート&スパ モルディブというところ。アメリカで人気のデザインホテルである(らしい)Wホテルです。
ネットで調べた情報によると、どうやら5月くらいにオープンする予定だったのが延び延びになっているようだけど、まあ何とかなるでしょう、ということで予約を入れました。
その後、ネットでWホテルのサイトを見るたびにオープンの日付が少しずつ遅くなっていき、ついに9月15日オープン予定となりました(私たちの出発は9月16日)。

これはさすがにヤバイのでは・・・?と思って、ホテルに直接問い合わせをしたところ、「最終準備段階に入っています」という答えが来たので、まあいいかということにしてました。
すると、9月6日(出発10日前)に、日本スターウッドからメールが。いわく、
「オープンが間に合いません。代替えホテルとしてフヴァフェンフシにするか、旅行日程を変更して下さい。」
旅行日程の変更は無理。航空券買ってあるし、何よりこのために仕事をいろいろ調整しているので。
しかしフヴァフェンフシは、かなり高額な割にあんまり良い評判を聞かないな(あくまでネット上でですが)。
次に8日(8日前)に、
「やっぱりオープンすることになりました。」
とメール。何なんだよ~と思っていると、しまいには12日(4日前)に
「悪天候の影響でやっぱりオープンできません。代替えホテルか旅程変更を」
のメールが到着しました。確かにすごい嵐が吹き荒れたようですね。

そんなわけで出発4日前にして旅行計画が白紙に・・・。
しかし高いお金を払って納得のいかないリゾートには行きたくない!ということで、更に交渉を重ね、結局アイランド・ハイダウェイ・アット・ドナクリに落ち着いたのは、出発前日の夜でした。

モルディブ旅行記2006 (2)往路~フルレホテル

待ちに待った出発の日。今回はシンガポール航空にて、成田→シンガポール→マーレの行程です。マレーシア航空が好きなのですが、取れなかったので、シンガポールになりました。席はエコノミーです。

まずは新しくなった成田空港第一ターミナルへ。寿司岩でとりあえずごはん。別にこれから日本食が恋しくなるから、ということでは無いのですが、何となく成田では寿司を食べるのと本屋に行くのが必須のような気がしてしまいます。
おまかせ寿司 ひとり2100円。

あとは、チップ用に米ドルを調達。

機中については、特記事項なし。
シンガポールチャンギ空港では、セブンイレブンでマギーのナシゴレンの素(美味しいんですよ)を調達し、さらにサングラスなども買っていたら、あっという間に時間が過ぎました。

そして無事にマーレに到着!
意気揚々と空港から出るも・・・お迎えを発見できません。どうなっちゃうの私たち?と思っていたら、他のリゾート出迎えの方々が親切にアイランドハイダウェイのスタッフを探してくれました。

翌日のピックアップ時間についての説明を受けて、この日は空港島にあるフルレアイランドホテルに一泊です。
アイランドハイダウエイは、マーレから更に国内線の飛行機で55分ほど移動し、そこからスピードボートで40分くらいのところ。日本を出発してその日のウチにリゾートインできる!(時差マジック併用)というのがウリのようですが、私たちはなにぶん直前手配だったので、アイランドハイダウェイのお部屋がその日は確保できなかったのです。
そこでフルレ一泊。ただ考えようによると、金額とか体の疲れ具合とか国内線からの景色とかを考えると、これって良いかもしれません。

フルレの部屋は無駄に広かった。ソファセットまで置かれた部屋。それなのにアメニティが、スリッパもバスローブも歯ブラシも1人分しかなーい。バスタオルだけ2人分。
ミスかと思ってホテルのスタッフに聞いたら、「ちゃんとあるじゃない」と言われました。これが標準形なのかなー。
まあ、ここでくつろごうとは思ってないので、良いのですけど。
写真はそんなフルレのお部屋です。

2006年9月15日

夏休み

明日から夏休みを頂いて、旅に出てきます。
行き先は、モルディブで、 アイランドハイダウェイ・アット・ドナクリ・モルディブスパリゾート&マリーナの予定・・・いまだ調整中なもので。
なかなか決まらなかった顛末は、帰ってから書きます。

では!

2006年9月12日

海外旅行用に携帯買い増し。

私、今週末から1週間の夏休みをいただきます。
こうやって夏休みが貰えるのも、3人以上常勤の居る病院に勤務しているから。有り難いことです。
ま、それはそうとして、今年は旅行用に携帯電話を調達してみました。

ドコモのSIMPURE L(シンピュア エル)です。
グローバルローミング対応のFOMA。普段は FOMA SH902i を使っているので、海外に出るときだけ SIMPURE L にFOMAカードを入れ替えて使おうという魂胆です。

何でこれなのかというと・・・
この携帯、お店によってはゼロ円なんですよ。
大型量販店やドコモショップでタダの所は珍しいでしょうが、町の携帯屋さんの様なところではゼロ円の可能性大です。ただし mopera U やらいくつかのオプションに入らされるので、これを解除せねばなりませんでした。
ネットで得た情報によると、成田空港で9月いっぱいは2100円で売られているもようです。

今度ののだめ16巻は・・・

マングースシャーペン付き(限定)だそうですよ。→ソース
ドラマも始まると言うことで、姑息にいろいろと付けてくるなぁ~。
いや、買うんですけどね。

2006年9月 9日

W-ZERO3[es] 日記(4) Google Calendarを使いたい。

突然ですが、Web上のカレンダーとして、Google Calendar を愛用させて頂いております。
理由は Google のしもべだから・・・ではなく、複数のグループで予定を共有するのに便利だと思うので。
しかし、Google Calendar は、何故かW-ZERO3では見ることが出来ないんですよね。Gmail は見られるのに、何でなんでしょう?
しかも私は OutLook を持ってない。ずっと前に、使わないから消したのです。W-ZERO3 の予定表と同期するのに便利らしいですが、そのためにこれから入れ直すのも、何か負けのような気がしてイヤ。

そういうわけで、何とか W-ZERO3 で Google Calendar を使う方法を考えました。
そこで出会ったのが、WebCalendar。ネット上を探しても、日本語で使ってらっしゃる方が見つからなかったので、ちと不安でしたが思い切って購入(シェアウェアなので)。

結果・・・TODAYに表示させることに成功しました(夫ありがとー)。
こんな↓感じ。殺伐とした予定で申し訳ありませんが・・・。

欠点として今のところ分かっていることは、
・毎週というような設定で入力した予定は、これに反映されない。
・Dashboard を同時に使用しなければいけないので、テーマが限定される。(ダウンロードサイトにいっぱいありますが)
・無線LANカード(IMSW-822)とWebCalendarの相性が悪いらしく、LANカードを入れたまま再起動すると、LANカードが認識されない。
まだたくさんあるんでしょうが、とりあえず。

また何か分かったら、書きます。

2006年9月 8日

やじうまWatchにも・・・

■ 助産師は本当に足らない……ブログのコメント欄で興味深い議論が
 日本一の年間出産数を誇る横浜市の産婦人科専門病院で、助産行為を看護師に行なわせていた一件が、大々的に報道されていた。78歳の院長が「看護師が内診をすることは必要悪だ」などと発言してしまったものだから、新聞記事では「開き直り」と盛大に叩かれてしまっていた。病院に問題があるなら直すべきなんだけれど、ことはそう簡単でもないようなのだ。「ある産婦人科医のひとりごと」のコメント欄で、匿名の興味深い議論があった。助産師は特定の病院に偏在していて、それ以外の病院では募集しても集まらないというのだ。どうやら、構造的な問題があるようだ。また、産婦人科に関するニュースを調べてみると、助産師どころか、産婦人科の医師も足らなくなってきているのがわかる。病院がこんな状態で、近年取りざたされることが多い少子化の問題が解決するものなんだろうか?


INTERNET Watch にまで助産師問題が取り上げられる世の中になったとは。
感慨深いですね~。

2006年9月 7日

100文字レシピ

数ある料理本の中で、川津幸子さんのものが一番好きです。
作ろうという気になる物が多いし、外れが殆ど無いから。
100文字レシピは、通常版でも持っているのですが、何かと便利かも知れないと、文庫版も購入しました。

息抜きに料理でもしてみようかな、という方におすすめですよ。

100文字レシピ

2006年9月 5日

9年目の詫び状

mixiで知りました。
ちょっと長いですが、いい話だと思ったので引用。

第2697号 2006年9月4日

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  91回
「Tさんへ 9年目の詫び状」
李 啓充 医師/作家(在ボストン)

(2695号よりつづく)

 Tさん,あなたが亡くなられてから9年が経ちました。あなたの死を無駄にしてはならないと,この間,私なりに一生懸命頑張ってまいりましたが,残念ながら力及ばず,日本の医療は,ますます悪い方向へと向かおうとしています。あなたの死が無駄になろうとしていることについて,友として,心から詫びなければなりません。

 思えば,中学時代の友人から,同級のあなたが倒れられたと知らせるメールが送られてきたのは,97年8月のことでした。小児科医として勤めておられた大学付属病院で,あなたは,当直明けの朝,当直室で倒れられたのでした。診断はクモ膜下出血,約20日後,あなたは意識が戻らないまま,43 年の短い生涯を終えられました。

 海外に住む私にとって,親友の葬儀への出席がかなわなかったことは慚愧に堪えませんでしたが,数年後,同級生から葬儀の模様を聞くことができました。多数参列したあなたの患児の一人が,あなたが死んだという事実が了解できないまま,「T先生,ケロンパの絆創膏をつけたらすぐ元気になるよって,いつも言ってくれましたね。T先生も,これをつけて,早くよくなってください」と,遺影の前にカエルの絵がついた絆創膏を置いて会葬者の涙を誘ったと聞いたときは,私も涙が出て止まりませんでした。中学のときから心優しかったあなたは,患児たちに対しても,とりわけ心優しい医師であったに違いありません。

 驚いたことに,1年半後,あなたの死は,新聞で報じられる「ニュース」となりました。日本では,医師に過労死が認められることは非常に稀であるのに,あなたの死が労災と認定されたと,「ニュース」になったのでした。「倒れる前の最低12日間は休まず働き,この間に2回,当直に就いた。……毎日最低3時間の時間外労働をしていた」と,倒れる直前の数日間,ほとんど眠る時間がないほど働き続けた様子がそのときの記事に紹介されていましたが,日本の勤務医にとってはあまりにおなじみの過重労働の結果,あなたは「非業」の死を遂げたのでした。

 記事の中で,あなたが勤めていた病院の院長が「勤務態勢の見直しを検討しているが,投薬する薬が少なく診療報酬が低い小児科では,医師の人数を簡単に増やせない」と発言,(1)小児科医の過重労働が深刻化している実態と,(2)診療報酬の額・仕組みなど,日本の医療の制度・政策にかかわる構造上の問題が医師の就労環境の改善を阻んでいる事実を,いみじくも指摘したのでした(もっとも,私には,「制度が悪いからどうしようもない。働きすぎの小児科医が死んでも仕方がない」と言っているように聞こえて,腹が立ってなりませんでしたが……)。

 さらに,記事の末尾で,ある医大の教授が,「今回と同じような悲劇が,どこで起きても不思議ではない危機的な状況だ」と,日本の小児医療全体の危機であることを強調したのですが,あなたの死から9年,日本の勤務医の過重労働を巡る状況は,改善されるどころか,産科,麻酔科,内科……と,他科にも拡大するほど悪化したのでした。

 Tさん,過労死の犠牲となられたあなたにとって,なぜ,日本の医師の過重労働の問題が悪化する一方なのか,不思議でならないでしょう。実は,Tさん,あなたの死が労災と認定されたことが「ニュース」となった事実にその答えが隠されているので,ここで少し説明させてください。

 通常,過労死が労災と認定されるためには,月100時間を超える時間外労働をしていたことが条件となるのですが,厚労省は,医師の「当直」時間を就労時間とは認めていません(医師がほとんど眠る時間がないほど働いている現実があるというのに,「当直とは夜回り程度の軽い仕事だから労働とは言えない」と言うのです)。というわけで,医師が過労死を認定されるためには,当直以外に月100時間を超える時間外労働をしていなければならないのです(Tさんの場合も,当直以外に100時間を超える時間外労働をしていたからこそ労災が認定されたに違いありません)。

 それにしてもTさん,97年に亡くなられたあなたにとって「厚労省」とは耳慣れない言葉でしたね。あなたが亡くなられた後,厚生省と労働省が統合され,いまは,医療を管轄すべき省が,労働基準法の遵守を監督・徹底すべき省にもなったのですが,医療と労働の両方の「本丸」となったというのに,「当直時間は就労時間にカウントしない」という「トリック」を使うことで,日本中の医師が労働基準法違反の過重労働を強いられている現実から目を逸らし続けているのです。

 厚労省が目を逸らしているのは過重労働の問題だけではありません。過重労働の根本原因である医師不足の問題についても,「医師偏在の問題」と言い換えていることでもわかるように,不足がきわめて深刻な事態にある事実そのものを認めようとはしていないのです(「偏在」というのは,余っている地域と足りない地域とばらつきがある状態を言うのだと思うのですが,日本のどこに行ったら,産科・小児科の医師が余っているというのでしょうか?)

 Tさん,過労死の犠牲となられたあなたにいまさら言う必要もないことでしょうが,日本の医療が世界に冠たる「低コスト」で運営されてきた秘密は,実は,医療者たちが過重労働をいとわず,黙々と働き続けてきたことにあったのです。それが,いま,「もう体が持たない」と音をあげた医師たちが,勤務医を辞めて開業医に転向する事例が跡を絶たず,病院の医師不足はますます深刻化しているのです。日本の医療を支えてきた大本の柱が,いま,荷重に耐えかねて折れようとしているのですが,医療が崩壊の危機に瀕しているというのに,政府はさらなる医療費抑制を進めようとしているのですから,私としては背筋が寒くなるような恐怖感を覚えざるを得ません。

 Tさん,あなたの死が図らずも実証したように,医師不足についても,医師の過重労働についても,日本の医療は,すでに,少なくとも9年前には深刻な事態に陥っていました。それなのに,厚労省も政治家も,この9年間,当直時間は就労時間に含めないというトリックを使い続けたり,不足を「偏在」と言い換えたりすることで,問題の「存在」そのものさえ認めようとはしてこなかったのです。脳細胞の活動を「denial」のフェースで止めたままの人たちがこの国の医療政策を司ってきたのですから,いつまでたっても事態が改善するはずなどなかったのです。

 Tさん,あなたが生きている間に聞いておけばよかったと,いま,私が後悔していることが一つあります。あなたが,「よくなるよ」と,患児に使っていたケロンパの絆創膏,いったいどこに行ったら手に入るのですか? もし,手に入ったら,「早くよくなるといいね」と,厚労省の官僚や政治家たちの頭に貼ってやりたいのですが……。

(つづく)

2006年9月 2日

W-ZERO3[es] 日記(3):WLAN card IMSW-822

W-ZERO3[es] に使える無線LANカード、IMSW-822がようやく発売になりました。
待ってたよ!
早速入手し、セットアップ(夫が)です。

・・・どうやら InClose との相性が悪いらしい。困ったものです。

InCloseを外したら、ちゃんと動きました。
前評判通りスロットからはみ出しており、格好悪いですが、とりあえず良し。SDドライブ塞いじゃって不便ですが、それも一応許しておきましょう。
やっぱり無線は快適です。

2006年9月 1日

年俸5千万の尾鷲も終了・・・

年俸5千万円以上!の高収入で話題となった、尾鷲の産婦人科。
残念ながら1年で交渉決裂となってしまったそうです。
市議の発言、ひどすぎます。「津で開業した頃のうわさも・・・」なんて言われた日には、そこで頑張ろうという気持ちは無くなって当然。「安易な買い物」というのもありましたね。物ですか?

1年間(休みは年末年始の2日のみ)分娩室の隣に住んで、ずーっとお産のことを考えていなければならない、そんな生活は、監禁されているのとほぼ同じです。プライバシーも何もない。お酒も飲めない。
仮に院外に出たとしても、良くて市内くらいで、周りの皆が自分の年収を知っている・・・。まるでホラーです。
私は当直でよく産科病棟に泊まりますが、たとえば週末だけでもかなり精神的に疲れます。1年もやったら、普通はノイローゼになりますよ。

しかも、年俸が足りないから突然辞めるような言い方をされて。
欲しいのは、お金よりも休日じゃないですかね。
尾鷲の方々には悪いけど、こんな市議たちが居るところには、誰も行かないと思いますよ。
一応、打開策をあげるとするなら、他科よりちょっと高給で2人体制というのが無難でしょうね。

産科医と契約できず 市立病院産婦人科10月から再び休止 尾鷲市 [ホーム] [戻る]
【尾鷲】尾鷲市の伊藤允久市長は三十一日の会見で、尾鷲総合病院に迎えた産婦人科医師との交渉決裂の原因が報酬額の折り合いではなく、医師の高額報酬への攻撃、中傷が原因との見解を示した。五嶋博道病院長も「報酬の条件もあるが、気持ちが切れた方が大きい」と認めている。

 伊藤市長によると、七月中旬から八月中旬までの二年目の更新交渉で、「最長で来年三月まで残る、と医師から言われていた」といい、同市長が八月二十一日、市議会に交渉経過を説明し、二十五日に再度開いた市議会委員会で交わされた、一部市議の「三千万円出せば大学病院の助教授が飛んでくるのに、四千八百万円は高過ぎる」「津で開業したころのうわさもいろいろ聞こえてくるのに」などの意見を知った医師が「残る気持ちをなくした」という。

 伊藤市長はこれまで「医師は非常に責任感が強く、交渉が不調に終わっても、三カ月は残ってくれる」と繰り返していたが、八月三十日夜の交渉で、医師は市議会での議論を引き合いに出し「気持ちが続かない。九月中の出産予定者までは引き受ける」と期間短縮を申し出た上「事故があったら大変だから」と語ったという。

尾鷲総合病院の産科医交渉
「決裂でも短期間残留」 市議会で市長

 尾鷲市の尾鷲総合病院で、産婦人科の男性医師(55)との契約延長交渉が難航している問題で、同市議会は25日、生活文教常任委員会と全員協議会を開き、協議した。議員からは「安易な買い物をしておいて、突然、議会に意見を求められても困る」などと伊藤允久市長に厳しい指摘が続いた。一方、伊藤市長は交渉が決裂した場合でも、医師は2、3カ月は病院に残留してくれるとの見通しを示した。(鈴木龍司)

 ■議論白熱

 協議では各議員が意見を述べた。医師が現行の5520万円、市側が4800万円への減額を主張している報酬額については「いずれも高額だが、とにかく1年は残ってもらい、その間に三重大などと対応を協議すべきだ」「市が提示した金額でも話にならない」などの声が上がった。

 高額の報酬額は、平均1500万円の他の医師の不満を高め、病院全体の問題に発展する恐れを指摘する声も。「4800万円で他の医師が納得するのか、各医師から意見を聞くべきだ」と市長を促す意見もあった。

 一方、産婦人科医不在となる危機に対し「(6万3000人の)署名を集めて迎えた産婦人科医。残留は市民の願い」「尾鷲市だけの問題ではなく、国レベルでの対応を求めたい」などの声も出た。

 ■妊婦の不安

 先が見えない契約交渉の中で、一番の不安にさらされているのは、おなかに赤ん坊を抱える患者だ。「妊婦さんにはこの現状をどう説明するのか」と声を荒らげる市議もいた。「現実に不安を感じて松阪市の病院に転院した患者さんもいる」という指摘も。伊藤市長は「交渉が決裂しても、医師は責任感の強い方なので、しばらくは残ってもらえるという言葉をもらっている」と述べるにとどまった。

 ■月末に結論

 伊藤市長は「男性医師への4800万円の提示は変えない」としたうえで、この日の議会の指摘を受け、週明けにも同病院の医師たちに提示額について説明することを決めた。その後、市議らの意見を踏まえ、契約切れ寸前の30日か31日には、男性医師との間で結論を出すという。